将棋の国の王子様


王子が勝っちゃった。
四連勝のストレート防衛。
やっぱスゲー。
ここまで強いとモハヤ人間離れしているよう。
現在進行形のレジェンドですんな。
テレビで見る王子は相変わらず可愛いです。
インタビューの受け答えもタンタン。
いつものように、カメラを正面から見ずに、王子の視線は宙を彷徨います。
きっとこの人は名人位を防衛しても、奪取されても同じトーンで話すに違いない。
精神の浮き沈みってモンが外に全く出ないんだな。


そこで、思うわけ。
「王子、将棋の国の最高タイトルを防衛したのにさぁ、なんで、そんなに普通なの?」
友人は言う。
「そりゃ、決まっとるがね。考えるまでもありゃせんわ。それが王子の性格だわ。」
確かに。そりゃ、そうだ。そう言われては何も言えん。
しかし、ホントに王子の性格だけで説明が付くか?
もう少し違う視点で考えてみたい。例えば「プロ棋士」って観点から。


まず、「プロ棋士」ってのは勝負の世界で生きる人達です。
勝負事には必ず対戦相手がおります。
一方に勝つものがいれば、一方に負けるものがいる。
勝者は光り輝き、敗者にはスポットが当たらない。
勝者があれだけ輝けるのは、きっと敗者の夢を喰らうからなんだろうな。
将棋だけでなく、野球や、サッカーでも同じ。
勝負の世界では、勝者は絶対。
「勝者は、敗者の絶望の叫びで眠りに付き、敗者の夢を喰らい、敗者の涙で喉を潤す」なんて言うのは俺だ。
・・・いや、ちょっとオーバーな表現だがアナガチ間違ってはいないはず。
それが勝負の世界の掟なのさ。
ソンナ中、勝負の世界に生きない俺は想像する。
勝負の世界で生きる男達は精神が屈強なはず。
「仕事が人を作る」というしね。
「ガルルルル」って回りを威嚇するような狼のごとき野獣に違いない。


しかし、現実はそうではない。
将棋の国で生きる人たちは皆さん一見、穏やか。
むしろ押したら倒れちゃうんじゃなーい?と疑ってしまうような人も結構多い。
「まるで羊のようだな」という印象の人もいる。
「仕事が人を作らん」のか?

プロの頂点に立つような人達ってのはさ、小さい頃から『自分が世界で一番強い』という絶対の自信があるわけ。負けるなんてことは、背骨が折れるのと同じことなのさ。それでも負ける時はある。勝負だからね。みなさん、負けて悔しくて眠れない夜ってのを経験してる。泣きはらした夜がどれだけ辛いことか。心の中で怒り、悔しさ、焦りやらの負の感情が台風のように吹き荒れるんだわな。勝負師の皆さんはミンナ、そんな尋常じゃない精神を抱えているわけさ。それは、モウ『修行』と言って良いと思うんだな。アノ人たちは『将棋の修行』はもちろん、毎日が『精神の修行』みたいなもんなのさ。そういう職業なのよ、プロ棋士って。だから、プロ棋士の皆さんは、ミンナ一様に一見穏やかだろ?アレは修行の結果なのさ。プロ棋士って職業が人を鍛えるのさ。でもね、外見は穏やかだけれど。心は荒れ狂ってるのは間違いないよ。

もとより、将棋の国の王子様にも「ガルルルル」って雰囲気は微塵もない。
いつでも飄々として語り口も穏やか。
その風貌からも勝負の世界で生きるギラギラしたモノを一切感じさせない。
まるで将棋の世界ではなく、違う世界にいるよう。
凡人とは違う景色が見えてるんじゃないか?と疑ってしまうほどに普通なのさ。
俺にとって、将棋の国の王子様はもはや格別。
「神か?悪魔か?」
そんな所にいるように思えるのさ。


つまりこういうことだろう。
「王子。なんで、普通なの?」
「プロ棋士というストレスの塊のような職業自体が『精神修行』であり、その結果、何が起きても平常心を装えることくらいは出来るようになる」
どうでしょう?
「だからよー、単に王子の性格じゃねーか?」
そういう突込みには耳を塞ぎます。

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