ウミガメの味

私、食うものに好き嫌いはホトンドありません。
出されたらナンデモ食うし、何でも美味いと思います。
しかし、世の中は広い。
色んな食材があるもんだ。
私が食べた珍しい食い物シリーズをご紹介。
今回は第三回目。
第一回「蜂の幼虫」:http://d.hatena.ne.jp/minamidaira/20090611/1244699648
第二回「ヤシガニ」:http://d.hatena.ne.jp/minamidaira/20090619/1245354470


「海亀」を食べたことがあります。

本当に海亀なのかどうかはワカリマセン。
地方の友人に「ここでしか食べられないモノって何かある?」
って尋ねたらアル店に連れてってくれました。
食べた場所&地名はフセます。


お店に行く途中、車の中で「ウミガメを食う」と聞かされてビビる俺。
ウミガメ?・・・確かレッドデータアニマル、絶滅危惧種だよね?
食うの?法的に許されるの?仮に法的に許されたとしても、倫理上許されるのか?
友人は言う。
「さぁ、法的には知らないさ。でも、俺はウミガメ食って捕まった人は見たことないし、そんな話も聞いたことネーぞ。刑法に『ウミガメ食べちゃダメ』って書いてあったか?書いてねーよなぁ。罪刑法定主義だっつーの。捕まるわけねーじゃん。」
・・・確かに。


しかし、倫理上の問題は?
「そりゃぁ分かるよ。ウミガメを食べるってのは倫理上の問題はあるかもしんないわね。でもなぁ、ワシら小さいときからウミガメ食べて大きくなってきたんやぞ。それをドッかの誰かさんから、いきなり『食べたらアカン』ってナンデ言われやなアカンのや?価値観の押し付け、自分と同じ物差しを他人に押し付けるなんて趣味悪いで。どっかの有名なオッサンも言うとったやないか。『鳥の血に悲しめど、魚の血に悲しまず。声あるものは幸いなり。』ってな。…あのオッサン、誰やったかなぁ?」
妙に説得力があったので黙って聞いていた。


「大将が気を悪くするから、さっき車の中で交わした会話は店の中では絶対に禁止」
と念を押されてお店へ。
10人も座れないような小さなお店。
時間が早いためか、お店にお客さんは誰もいなかった。
で、ウミガメ注文。
出てきたのはテラテラと光った赤い肉。
甲羅は皿の上には乗ってない。
匂いをかいでみたけれどあんまり匂わない。
新鮮だから?
しいて言えば、ホノカに血の匂いがするだけ。
形は丸く、直径は4㎝くらい。
薄切りにされてる。
すりおろしたニンニクと一緒に刺身のように食うらしい。
天ぷらにしても良いけれど、新鮮なものはソノマンマ刺身で食うのが一番美味いと友人が言う。


丸い形、ウミガメの何処の部分なんだろう?
「首ですよ」
若い店員の兄ちゃんが自分の首を手でポンポンとチョップして答える。
「どうやって仕入れたか?地元の漁師さんから買うんですよ。カメってトロトロ動くイメージがあるでしょう?アレ、陸の上だけなんすよ。海の中では結構泳ぎが速くてね、捕まえるのはそりゃぁ一苦労なんですよ。どうやって捕まえるか?さぁ?潜って、モリで突いて取るって漁師さんもいるみたいですけど詳しくは知りませんねぇ。昔はウミガメって案外手軽に手に入ったって聞くんですけどね。今じゃ毎日の入荷は難しいですね。ウチの店にウミガメ目当てで来る人は結構多いですよ。お客さんもソウでしょう?コレ食べたら精が付きますよ。」


食べてみる。
口に運んでみて思った。
…馬刺しに似てる。
わずかに血の匂いがして鉄の味がする。
海の生物だけれど魚とは全く違う味。
刺身って感じじゃない。
まんま肉を食ってるって感じ。
生肉のエグみが若干残る、これがウミガメ特有の癖か?
でも、獣の肉の癖でもない。
「美味いやろ?」
友人は笑って食べる。
「結構いける」と答える俺。


店を出て友人は言う。
「お前も禁断の果実、食うてしもうたな。」
「アダムとエバの気分だね。」と答える俺。
帰り道もウミガメ談義。
「人魚ってなぁ、『ジュゴン』を昔の人が見間違えたんやって言うやろ。俺はな、アレ違う思うんや。人魚に見間違えられたんは『ウミガメ』やぞ。俺、海の中で泳ぐウミガメを何度か見たことあるけどな、アイツらキレーに泳ぐんや。前足だけフィンみたいに器用に動かしてなぁ、水中を浮いとるみたいになぁ、スイー、スイーって横移動してくのさ。見とれてしまうんやぞ。ウミガメの泳ぐ姿を人魚と思わんで、何を人魚と思うんや。」
海と共に生きてきた人間は言うことが違う。
俺には考え付かないコトを口にする。
この友人の考え方&人と成りを育てたのは、この地方の気候と風土、そして海なんだな。


どっかの民族学者のオッサンも言うとったやないか。
「一つの物差しで物事を計ってはいけない。そんなことをしては世界は一色に染まってしまい、無味乾燥したものになる。それでは個性は育たない。人は時に自分とは相容れないモノも受け入れる必要がある。色々な物差し、多様な価値観を認めることで、世界は彩り豊かになる。異なるモノを受け入れる『寛容』の土壌にこそ個性が育ち文化が花開く。そして文化こそが人間を育てていくのだ。我々人類は寛容の精神をモウ少し学んでも良いのではないか。」
…あのオッサン、誰やったかなぁ?

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注意:文中の友人の会話部分が若干三重の言葉なのは、このブログの仕様です。私が地方の方言を再現できないので勝手に三重の言葉に変換しています。アシカラズ。